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〈終末期を考える〉 フォトジャーナリスト 国森康弘さんに聞く みとりは「命のリレー」

(2011年12月27日) 【中日新聞】【朝刊】 この記事を印刷する

「幸せな死」が家族の救いに 望む最期話しておいて

画像国森康弘さん

 どうしたら人は「幸せな死」を迎えられるのだろう。世界の紛争地などを撮影してきたフォトジャーナリスト国森康弘さん(37)=大津市=は、答えを見つけようと、国内でみとりを数多く取材している。みとりの意味を聞くとともに、国森さんの撮影に応じた滋賀県の家族を取材した。(林勝)

 ベッドに横たわるお年寄りの手を優しく握る家族。亡くなった曽祖母の顔をなでるひ孫−。国森さんの写真は、みとられる人と、家族や介護者の深いきずなを表現している。

 国森さんは、89歳の女性を在宅でみとった家族の話を始めた。

画像亡くなった柴田竹子さんの顔をいたわるようになでる、ひ孫の恋さん=滋賀県東近江市で(国森さん提供)

 「呼吸が止まったのに気付いた娘さんが、おばあさんの手を握りました。すると数十秒後にいったん息を吹き返した。娘さんが『もうええよ。いっぱい生きてくれてありがとう』と話し掛けると、おばあさんはすっーと息を引き取り、目に涙が浮かんできたんです」。その瞬間、引き込まれて、シャッターを切れなかったというが「でも、その場に立ち会えて本当に良かった。人間の生と死はすごいなと実感しました」。

 国森さんは、ソマリアなどの紛争地や貧困国を取材し、天寿をまっとうできない死を数多く見てきた。日本は世界でも最長寿国だが、まだ多くの死が「敗北のように扱われている」と感じる。

 「死は命のバトンをつないでいくかけがえのない出来事。遠ざけるものではなく、温かな人間関係から生まれるみとりによって、『幸せな死』が実現できる。それが残された家族にとって救いにもなる」

 多くの人が住み慣れた自宅での死を望むが、国内では現実には、病院で亡くなる人が8割にも上る。

 「医療に依存すればするほど、終末期に本人と家族は隔絶されてしまう。それでは心を通わせる大切な時間を失ってしまう。どこでどう死にたいか、家族で話し始めることが、豊かなみとりへの第一歩になる。最終的にはケアもしやすくなる」と国森さんは話す。

写真に登場・柴田さん家族 「家でみとれ良かった」

 国森さんが撮影し、今年2月末、滋賀県東近江市の自宅で、家族にみとられて亡くなった柴田竹子さん=当時(93)=の自宅を訪ねた。

 「おかげさんで、元気、元気」。亡くなる数日前に語った竹子さんの最後の言葉が、家族の心に深く刻まれている。

 病気とはほとんど無縁だった。早朝5時ごろに起きて畑仕事に出る日課を最晩年まで続けた。2、3年前から認知症の症状が見られたが、山に囲まれた集落での生活は変わらず、気ままに日々を過ごした。

 ひ孫の恋(れん)さん(12)を幼少からかわいがり、恋さんも竹子さんになついていた。認知症にかかってから、恋さんは度々、竹子さんに「私はだあれ」などと、家族の名前を聞くクイズを出して励ました。

 亡くなる1週間前、「もういい」と入れ歯を口から出し、それきり食べなくなった。市内の診療所の医師に診てもらうと、老衰が進んでいると告げられた。

 家族で相談し、このまま自宅で過ごさせると決めた。孫で恋さんの父の剛さん(41)は「昔から病院が苦手な人。健康管理など自分で何でもやってきたし、本人にとってそれが1番良いと思ったんです」と話す。

 竹子さんは食べ物を口にしなくなってから、徐々に動けなくなり、家族との会話も少しずつ減った。往診に来た医師が死期が近いと伝えた。それを聞いていた恋さんは、しくしくと泣いた。

 「(80歳も離れた)ひ孫にあんなに泣いてもらって。本当に幸せなばあちゃんや」と親族の1人が言った。2日後の深夜、竹子さんは家族に苦しむような様子を見せることなく、静かに息を引き取った。

 翌日、恋さんは身なりを整えた竹子さんと対面した。手で額をそっとなで、冷たさをじかに感じ取った。恋さんは「年がいっても早起きして仕事する、すごいおばあちゃんでした」と生前を振り返った。そして、家でみとれたことに「良かった」と少し笑みを見せた。

 くにもり・やすひろ 1974年生まれ。京大大学院経済学研究科修了。神戸新聞記者を経てフォトジャーナリストに。イラクやソマリア、カンボジアなどの紛争地域や貧困地域を巡り、国内では医療問題や旧日本軍兵士を取材。著書に「家族を看取(みと)る 心がそばにあればいい」(平凡社新書)など。

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