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支え合う 患者たちの絆〈24〉 ホスピスケア活動「虹の会」

(2012年10月21日) 【中日新聞】【朝刊】【岐阜】 この記事を印刷する

自分らしく今を生きる

画像毎年恒例の納古山登山。生きがい療法として実践している

 8月の集いは、旅立った仲間の男性(65)への黙とうで始まった。1人の女性が泣きだした。

 「どうして、がんは僕を選んだのかな? まじめに生きてきたんだよ」

 6月に男性から聞かれ答えられなかった。次に会った時に伝えよう。言葉を用意してたけれど、待っててくれなかった。

 女性は保井美代子さん(60)=可児市。8年前に白血病と診断された。血液の再検査で「すぐ入院」といわれ、翌日から抗がん剤を点滴。食べても吐き、たちまち痩せた。歩き方も忘れ、自分が自分でなくなる感覚。「明日、目が覚めないで」。そう願う夜もあった。

 8カ月の治療を耐え、状態は安定。自宅に戻れたが手のしびれで急須を持てない。仕事も退職。元の生活ができない喪失感を抱える中、夫の高司さん(64)が勧めてくれたのが虹の会。

 参加者が順番に話をする。家族に見せたくない弱さも素直に言える。命と向き合い、心の持ち方が変わった。「前はできなくなったことを数えていた。今は、まだできることを考えられます」

 この夏、再発が分かった。「低空飛行で行けると思ったこともあったんですけど、やっぱり一生もんなんですね」。9月、美代子さんは、治療の場に向かった。

 山本好子さん(66)=可児市=は、6年前に夫の真一さんと死別した。62歳で胃がんになった真一さんは、「髪が抜けるような薬はダメ」と抗がん剤を拒否。その後は検査も受けなかった。

 好きな酒をぴたりとやめ、玄米菜食を貫いた。病を気にせず残された時間を楽しむ生き方を選んだ。「手術しないと命が危ない」と医師に言われてから10年生きた。

 夫婦旅行を楽しめ、みとりにも悔いはない。ただ、寂しさに時々襲われる。「どうしてもいい思い出が浮かんじゃって」。真一さんが参加していた虹の会に顔を出すようになった。

 心の穴を埋めるのは、遺族同士の会話。大切な人をしのび、思いを分かち合い、うれしさを共有できる。「心が軽くなる場所」という。

 虹の会は、7年前にできた。今を自分らしく生きるという気づきを大切にしている。対照的な形で両親をみとった小野口裕子さん(61)=可児市=の体験がもとになった。

 父の時は、治療のあり方も含め、死の間際も家族は病室外に出されるなど悔いを残した。母は、ホスピスで穏やかな時間を過ごせ、家族も別れゆく時間を十分に持てた。

 尊厳ある最期を迎えられるかは、その後の家族の悲嘆にもかかわる。患者や家族が主役になって病と向き合える場、のこされた人が後悔や寂しさを和らげられる場がいると思った。小野口さんは、葛藤も苦しみも、うなずいて受け止める。それぞれの人が選んだ道をそっと後押ししている。

 死を意識する病。平穏の岸辺にたどり着くのは簡単ではない。それでも、現実を見つめ、涙をぬぐった後、笑顔を取り戻していく人は多い。

 「副作用のしびれも、生きているからこそ」

 「身近な幸せを今は気付けることに感謝」

 仲間の言葉に、生き方に、勇気をもらいながら。 (斉藤明彦)

 ホスピス緩和ケア 生命にかかわる病気に直面する患者とその家族の苦痛を早期より和らげ、最期までその人らしく生きることを支援する。苦痛は、肉体にとどまらず、精神的(孤独・恐怖)、社会的(仕事・医療費・人間関係)、スピリチュアルペイン(人生の意味・死生観の悩み)が絡む。死を早めも遅らせもせず、QOL(生活の質)を高め、積極的に生きられるように支える。

 ホスピスケア活動「虹の会」 ホスピスケアの実践を目指して2005年5月に発足。可児市帷子公民館で毎月1回、日曜日に集いを開催。午前は患者や家族の集い。午後は、大切な人をがんで亡くした人の悲嘆ケアの集い。参加費は各500円。生きがい療法で登山も。会報「えん」では、参加者の率直な思いをつづった文章や医療情報を紹介。問い合わせは、代表の小野口さん=(電)0574(65)7059

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