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薬物依存からの回復目指す 「岐阜ダルク」8周年

(2012年10月26日) 【中日新聞】【朝刊】【岐阜】 この記事を印刷する

自身見つめ、生き抜く力

画像グループミーティングで話し合うメンバーら=岐阜市長住町の岐阜ダルクで

 薬物依存からの回復を目指す自助グループ「岐阜ダルク」(岐阜市長住町)が10月、8周年を迎えた。発足以来、毎日続くグループミーティングでは、メンバー同士が体験をさらけ出す。心の痛みを強いる作業を繰り返しながら、それぞれが自身と向き合おうと葛藤を続け、明日への一歩を模索する。(小笠原寛明)

 ダルクが入居する岐阜市内の貸しビルの一室。9月中旬、午前10時ちょうどにミーティングが始まった。この日のテーマは「どん底からの出発」。5人を前に、アヤさん(27)=仮名=が語り始めた。

 「今、まさにどん底。生きていたってしょうがない」

 薬物中毒に苦しんでいた4年前、アパートから飛び降り自殺を図った。脊髄を損傷し、通院を続ける。この日の朝、診察に行った病院で「完治は難しい」と医者に告げられていた。

 「『きっと良くなるよ』と声を掛けてくれた仲間にも、いいかげんなこと言いやがって、と思ってしまう」。思いを吐き出した後、続けた。「それでも、生きてるんだから…」。繰り返し、タオルで顔を覆った。

 両親の勧めでダルクに通い始めて半年。17歳で手にした薬物への欲求は、今のところ抑えられている。代わりに「働きたい」という気持ちが、芽生え始めたという。

 岐阜ダルクは2004年の発足以来、70人ほど受け入れてきた。薬物依存からの回復に向けた独自のプログラムで、力を入れてきたのがミーティングだ。その狙いを、代表の遠山香さん(47)は「自分自身の生き方を見つめ直し、薬物が無くても生き抜く力を身に付けるため」と説明する。

 遠山さん自身、薬物依存の経験がある。10代でシンナー、覚せい剤を体験。自力で1度は断ったものの、結婚後、夫の暴力や子育てのストレスから再び、手を染めた。自殺未遂を繰り返していたころ、書物でダルクを知った。ミーティングに通う中で「やっかいごとが起きるたび、薬物に逃げ込んできた自分の甘さに気付いた」と振り返る。

 だが、自分と向き合うのは容易でない。「面倒くさがったり、『もう大丈夫』と勘違いしたり」。ミーティングを続けられる人は、3割程度にとどまるという。

 社会復帰を果たしても、薬物と決別できる保証はない。「脳が、身体が覚えている」。テレビのニュースで覚せい剤という言葉を耳にするたび、遠山さんの心臓は高鳴る。

 自戒を込めて言い切る。「回復したかどうかは、死ぬまで分からない」

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