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俵万智さん 母として沖縄避難 

(2013年3月6日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する

「あなたの大切なものは何ですか」 

「その人のありのままを受け入れる優しさ。それは、原発とか経済効率とは逆のものです」と話す俵さん =沖縄県石垣市で

 「3・11」から2年。原発を再び動かそうとするこの国に、子を思う母の心は、どう響くのか。事故直後、当時7歳の長男を連れ、2千キロ離れた沖縄・石垣島に避難した歌人の俵万智さん(50)は、こう問いかける。「あなたの大切なものは何ですか」

震災の映像見れば

 2011年3月11日、俵さんは仕事で東京に出てきていた。シングルマザーとして産んだ小1の長男(7つ)=当時=と両親は、自宅のある仙台市にいた。

 ビルの中で会議をしていたら、強い揺れに襲われました。真っ先に浮かんだのは息子の顔。しばらくして仙台で震度7という情報があり、携帯電話をかけようとしたけど、手がぶるぶる震えてボタンを押せませんでした。

 交通の混乱で、仙台に戻って息子と会えたのは5日後でした。その時には原発が危ない状況になっていて、放射能から逃れるため山形経由で羽田空港へ。そこで空席のあった那覇便に乗りこみました。沖縄まで逃げると決めていたわけではないけれど、「西の方へ」という気持ちはありました。

 那覇では2週間くらい息子とホテル暮らし。私は原発事故の成り行きが心配で、毎日テレビや携帯とにらめっこしていました。まるで般若みたいな顔つきだったと思う。

 流れてくるのは悪いニュースばかりでした。うかつにも、私はそれまで原発というものをほとんど意識していませんでした。「安全対策をしています」っていうから、シンプルに安全だと。事故後も日本の技術力があれば何とかなると思っていました。
 そのうちに息子の様子がおかしくなりました。指しゃぶりをしたり、幼児向け番組を見たがったり。赤ちゃん返りですね。子は母の不安を敏感に感じ取るんです。「これはいかん」と思い、気分転換のつもりで友人のいる石垣島に渡りました。
 島に着いたのは4月1日。ちょうどモズクが採れる時期でした。息子と海に行って、浅瀬に生えているモズクを手ですくって遊びました。息子は、遊びに来ていた近所の子と砂をかけあったり鬼ごっこしたり。そうしているうちに数日で元気になったんです。

まだ恋も知らぬ我が子と

 俵さん母子は徐々に島になじみ、しばらく暮らすことを決める。一方で、国や一部の専門家は原発から拡散した放射能について「直ちには健康に影響しない」と繰り返し、母親たちの迷いは深まった。
 東京や仙台にはなかった子育て環境が石垣島にはありました。子ども同士で自然に遊びに行き、近所の人がカヌー遊びに誘いにくる。そんな環境にいるうち、ここにいるのは単に放射能から逃れるためではないという感覚にもなっていきました。
 「まだ恋も~」の歌を詠んだのはそんなころ。私は政治的な歌って、それがスローガンになったらつまらないと考えてきました。
 でも、あの時は「冗談じゃない」と思った。「直ちには影響ない」と言われても、「10年、20年後はどうなるの」って子を思うのが母親です。子どもが成長して恋をする時期を想像して悩むんです。
 政治には、そういう想像力を持ってほしかった。言葉が心に響いてこない。本当にむなしい気持ちでした。
 石垣に逃げたことに否定的な声も聞こえてきて、落ち込んだこともあります。ツイッター(インターネットの短文投稿サイト)をやっていますが、「遠くに逃げられる人はいいですね」とか「いっそ帰ってこないで」という返信がありました。
 確かに、どこにいてもできる仕事を持つ私は恵まれていると思います。ただ、避難した人ととどまっている人が対立していると図式的にとらえてほしくはありません。みんなそれぞれの事情があり、100人いれば100通りの行動がある。できる範囲で何とか子どもを守ろうとしているのは同じだと思います。

何よりも大事なことと

 俵さんが石垣に来て印象的だったのは、自然を制御しようとせず、無理をしない島の人々の生き方だったという。しかし、震災後も経済的な豊かさや便利さを求める社会は変わらない。
 台風が近づくと、島の人たちは仕事も学校も店も休んで、みんな家でじっとしています。「台風だもん。仕方ない」って。都会のサラリーマンみたいに、風に傘を折られながら会社に行こうとしたりしません。
 人間は科学の力で自然をコントロールできると思っていた。津波と原発事故で「自然をなめちゃいけない」という当たり前のことを教わりました。そして、必ずしも「便利=幸せ」ではないことも。
 相変わらず「経済、経済」って、残念ですよね。これほど大きな犠牲を払っても教訓を生かせていない。
 日本には、そろそろ大人の国になってほしい。事故を反省し、原発をやめると言った方がかっこいいんじゃないかと思います。無理して豊かさを追うより、大人っぽくて、味わい深くて。
 避難生活で「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」という歌をつくりました。子どもの命が大切だという心を愚かだというのなら、「じゃあ愚かじゃないものって何?」という気持ちからです。
 今、この国には母性的な優しさが欠けているんじゃないでしょうか。競争に勝とうと負けようと「あなたが生きていれば、それでいいんだよ」と、その人のありのままを受け入れる優しさ。それは、原発とか経済効率とは逆のものです。
 歌は「言え」と強い調子で結びましたが、みんなに問い掛けるつもりで詠みました。「あなたの大切なものは何ですか」と。

 たわら・まち 大阪府門真市生まれ。中高生時代は福井県越前市で過ごす。早稲田大卒。1987年、第1歌集「サラダ記念日」を出版。日々の暮らしや恋心を平易な言葉遣いで詠み、200万部を超す大ベストセラーとなる。長男とともに沖縄・石垣島へ避難した後、その体験や思いを歌にした「俵万智3・短歌集あれから」を出した。

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