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<びわこの光~重症心身障害児・者の今> (1) 「この子は宝」 家族のつながり

(2013年5月3日) 【中日新聞】【朝刊】【滋賀】 この記事を印刷する

 滋賀県の重度の障害児・者のための医療型入所施設びわこ学園の創立から今年で50周年。そして来年3月は「この子らを世の光に」の言葉を残した学園創設者糸賀一雄氏の生誕から100年となる。半世紀を経ても変わらない学園の役割、そして時代に合わせて進化していくその取り組み。びわこ学園に生きる人たちや家族の今を見つめ、脈々と受け継がれる糸賀氏の障害者福祉への思いを伝える。
 (この連載は梅田歳晴が担当します)

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同じ境遇 支え合い

 食べる。服を着る。脱ぐ。どれも自力ではできない。視力は光を感じられる程度。全身がけいれんする発作も起きる。話す言葉は「はい」と「いや」。滋賀県近江八幡市の西治さん(71)と文子さん(66)の長男貴之さん(36)は脳性まひによる両上肢機能障害と歩行不能の障害がある。

父の治さん㊧と母の文子さんに支えられ、お茶を飲む西貴之さん=滋賀県草津市のびわこ学園医療福祉センター草津で

 貴之さんが1歳のとき、京都市内の病院で「障害が残る」との診断を受けた。治さんは自宅で貴之さんを介助しながら、障害をいかに軽くしてやれるかに心を砕いた。良い医師がいると聞いて岡山や兵庫県など遠方に足を運んだ。

 厳しい修行を積んだ僧に会ったり神頼みをしたりした。やれることは全部やろうという気持ちは、今も捨てていない。そうして長い時間をかけ、息子と向き合うことができたのだから。
 治さんらが寝る間もないほど貴之さんの発作が長い日もあった。いつでも病院に走れるよう車の燃料はいつも満たしていた。病院に行く途中、発作を起こした貴之さんに気を取られ、追突事故を起こしたこともある。
 貴之さんは今、心身に重い障害がある子どもたち受け入れる施設「びわこ学園」で暮らす。治さんらには、家でずっとみてやりたい気持ちがあったが、断続的に続く発作に在宅で満足に対応できない不安から、1994年、入所させることを決めた。
 「びわこ学園の存在は大きい。何かあったら頼りにできる安心感がある」。貴之さんの暮らしはびわこ学園とともにある。それは、98年から現在までびわこ学園家族の会会長を務めている治さんも同じだ。
 長年、家族の会会長として、入所者の親として、学園と関わって思うことがある。それは、家族や職員ら支える側が協力し合わないといけないということ。
 在宅で生活していても介護が果たせなくなる家庭さえある。「孤立すれば行き詰まる。1人では難しい。同じような境遇の家族同士のつながりが何よりも大切」と強調する。
 4月24日夜7時すぎ。治さんと文子さんは、びわこ学園医療福祉センター草津にいた。2人は貴之さんの手足をマッサージをしながら「カフェオレ飲みたいの?」「ひげそらないとね」と声を掛ける。貴之さんは「はい」「う」と応じた。
 「ここにいる人たちは、精いっぱい生きている。多くの人の支援をもらって。そして家族はこういう子どもたちから生きる力をもらっている。この子らが生きている以上、われわれも元気でいないといけないから」と治さん。長年向き合うなかで、貴之さんこそが家族の中心と思い定めた。亡くなった治さんの母も貴之さんを「この子は宝」と言った。
 びわこ学園を創設した故糸賀一雄氏は「この子らを世の光に」との言葉を残した。「この子らに光を」ではない。障害者を光輝く存在にするという学園の理念だ。治さんは「この子らはこの子なりに必死で生きている。その姿をきちっと社会に伝えないと、『この子らを世の光に』の言葉自体が生きてこない」と訴える。
   

  びわこ学園  医療型障害児入所施設・療養介護事業所で、病院でもある。1953年県立近江学園で特に医療を必要とする療育グループ「杉の子組」が編成されたのが始まり。63年4月に医療福祉センター草津(旧第1びわこ学園)、66年2月に医療福祉センター野洲(旧第2びわこ学園)が開園。初代園長は故岡崎英彦氏。病床数は草津が116床、野洲は138床ある。

  糸賀一雄氏  1914年3月、鳥取市生まれ。旧制松江高校を経て京都帝国大(現・京都大)に進む。高校時代にキリスト教に入信した影響もあり、大学では宗教哲学を専攻した。40年に滋賀県庁職員に。知的障害児の入所・教育・医療をする「近江学園」創設に携わった。その後、重症心身障害児者施設「びわこ学園」設立に尽力。国の関係制度作りにもかかわり、知的障害者福祉の父と呼ばれる。68年に県の研修会で講師を務めていた際に心臓発作で倒れ、54歳で急逝。葬儀に際しては昭和天皇から、香典にあたる祭粢(さいし)料が下賜された。来年3月は生誕から100年の節目となり、本年度、県や学園がさまざな記念事業を計画している。

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