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〈遺すために 16歳・余命告知からの87日間〉−上− 生きぬいて感謝の言葉  

(2013年8月17日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する

親の苦悩も受け止め

 ベッドに横たわったまま、菊本大珠(たいじゅ)さん=当時(16)=は、主治医の高橋義行さん(46)の告知に耳を傾けた。

大珠さんの闘病

 「抗がん剤の効果は期間限定で、だんだん動けなくなってきてるんだよ」

 大珠さんは、顔を横に向けて尋ねた。

 「他に治療法はないの?」「がん細胞を吸って、効く薬を試すことはできないの?」

 高橋さんは、つらい返事しかできなかった。昨年12月15日。名古屋大付属病院(名古屋市昭和区)の小児科病棟の朝だった。

 大珠さんは一昨年4月に再発した時点で「治療法はない」と説明を受けてはいたが、切迫した状況だとは認識していなかった。その夜、「おれ、分かってなかったんだなー」とつぶやく大珠さんに、父の直樹さん(47)は言った。「それはおまえの責任じゃない。ずっと頑張ってきたじゃないか」

 4日後の19日、大珠さんの要望に応えて、治療の進め方などが説明され、大珠さんは抗がん剤治療を打ち切ることなどに同意。尿カテーテルの導入は断った。「痛いから嫌いなんです」と母の里子さん(45)。

画像イチロー選手からメダルをかけてもらい、笑顔の菊本大珠さん。ひたむきな野球少年だった=2007年12月23日、愛知県豊山町の豊山グランドで

 愛知県碧南市の自宅。初盆の花が飾られた仏壇のわきに、イチロー選手からメダルをかけてもらった大珠さんの笑顔の写真が掛けられている。小学校6年のイチロー杯争奪学童軟式野球大会で、所属する碧南ライナーズが優勝した時の勇姿だ。

 好きなことには全力で打ち込むスポーツ少年だった。発病後も「全部知って闘うこと」を望んだ。

 里子さんは二つの思いに揺れている。

 大珠さんが衰弱していく中、つらい抗がん剤治療を続ける意味を疑問に思い「本人に選択させてあげたい」と主治医に申し出たことを「他に方法はなかった」と思う。一方で「残酷なことをしたのでは」と自分を責める。悲しみは深い。

 ただ、死を見つめた大珠さんが、つらい中にも穏やかな終末期を送り、感謝の言葉を遺(のこ)していったことは、両親の心の支えだ。

 余命告知の数日後、大珠さんは里子さんに言った。

 「おれはいいよ。十分に楽しかったから。でも親はね…」。自分より親のつらさを思う言葉に、胸が熱くなった。

 名大病院小児科で初めて行われた余命告知。大珠さんは、残された87日間を自分らしく生き、多くの「あたたかいもの」を遺した。その姿を通して、終末期医療のあり方を考えていきたい。(編集委員・安藤明夫)

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