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〈家族のこと話そう〉 産婦人科医 宋美玄さん

(2013年12月15日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する

慕われた父 理想の医師像

写真・淡路久喜

  年子の3姉妹の長女ですが、雑に育てられたなあと思います。幼いころ、ベビーカーに3人がトーテムポールみたいに肩車するように乗せられました。一番下になる私は重たいし、嫌だったのを覚えています。交差点でゴロンと、全員落っこちたりして。

 在日韓国人二世の両親からは勉強をして自立しなさいと言われてきました。両親の時代、外国人の就職は大変だったみたいで「資格を取らないと仕事に就けないぞ」と。父は外科医でしたが、貧しい家庭の十人きょうだいの末っ子。高校にも行けず、日雇い労働をしながら苦労して大学検定に合格しました。父を見て「人間、努力すれば、はい上がれるんだな」と思いました。

偉業成した祖父

 母は早く嫁に行くようにと育てられたようです。母方の祖父は褒章を受章したほどの人で、神戸市長田区にある靴工場集積地の草分けでした。事業で得たお金で、当時まだ日本にほとんどなかった近代朝鮮史の本を集めた図書館を建てました。バイタリティーがあり、よく苦労話を聞かせてもらいました。一番影響を受けたかもしれません。

 姉妹3人とも教育にはお金をかけてもらいました。私は中学、高校と私立の神戸女学院に通いました。浪人中のセンター試験2日後に阪神大震災があり、長田区の自宅も結構揺れましたが、大阪に単身赴任中の父も含め、家族はみんな無事でした。

 大学で医学部に進んだのは小さいころから、医者になるよう父に〝洗脳〟されていたのかも。父は家でよく手術の話をしていました。手術ができる科目で唯一、女性であることがプラスに働く産婦人科を選びました。当時は「これからは出産数が減り、仕事も減る」と言われましたが、現状は産科医不足ですよね。

 父は私が大学時代に他界しました。生きていたらいろいろ聞きたいことがあります。父は患者さんに慕われていたようで、私の理想の医師像かもしれません。

 昨年1月には娘を出産しました。毎日毎日、「生まれてきてくれてありがとう」という気持ちでいっぱいです。医師の夫は当直勤務などで忙しいため、月に10日ほどは神戸の母が東京に来て、娘の面倒をみてくれます。自分が経験し、産後ケアやフォローがどれだけ大切か実感しました。患者さんに話をするとき、説得力が出るかなと思います。

 出産したのは35歳。いわゆる高齢出産にはリスクもあります。でも年を重ねた女性は心に余裕があるし、人脈も豊か。子育てするにはいいのではないかと思います。

育児は笑顔大切

 子どもを産んだら、何かを諦めないといけないと思っている人もいますが、私は何も失っていません。完全な育児はできないので、妥協が大事です。子どもが一番求めているのは母親の笑顔。家の中が多少汚くても、チュッチュッして接してあげるのが大切だと思います。
 (聞き手・田辺利奈 )

 ソン・ミヒョン 1976年、神戸市生まれ。大阪大医学部卒。産婦人科医のほか、セックスや妊娠など、女性の立場からの啓発活動を続け、情報番組のコメンテーターとしても活躍。著書に「内診台から覗(のぞ)いた 高齢出産の真実」(中公新書ラクレ)など。

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