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95歳「保健婦」の旅路

(2014年8月8日) 【中日新聞】【夕刊】【その他】 この記事を印刷する

名古屋第1号 女性追った映画完成

画像「日本の保健婦さん前田黎生95歳の旅路」の一場面。手前が前田黎生さん

 名古屋市瑞穂区出身の映画監督、武重邦夫さん(75)=川崎市在住=が、名古屋市初の保健師の生き方を追ったドキュメンタリー映画「日本の保健婦さん 前田黎生(あけみ)95歳の旅路」を完成させた。時代の流れの中で踏ん張り、突っ張って生きてきた前田さんが映画の中で語る個人史は、日本の戦後史や女性史と深く重なっている。 (田辺洋子)

 前田さんは名古屋市中川区在住。1918(大正7)年に大阪で生まれたが、父親の失踪と母親の再婚が続き、家出してきた先が名古屋だった。

 武重監督が初めて前田さんに出会ったのは、2008年、長野県安曇野市で行われた研修会だった。活発に発言する前田さんを、武重監督は「昭和を生き抜いてきた女性の人生を垣間見る思いがした」と振り返る。

 映画は翌年から撮影を開始。武重監督が聞き手となり、前田さんが、平たんではなかった人生を名古屋弁を交えながら答えている。家出をして名古屋に来てからは医者の家に住み込み、看護助産師の専門学校に通った。その後、無産者診療所でボランティア活動をしていただけで治安維持法に基づく一斉検挙で連行され、3年間拘置された経験についても語っている。

画像ドキュメンタリー映画を完成させた武重邦夫監督=中日新聞社で

 前田さんは出所後、担当の保護司だった名古屋市民病院院長の戸谷銀三郎氏(故人)の力添えで、24歳で国家試験に合格。名古屋市で第1号の保健師としての人生を歩み始めた。結婚して退職したが、2児をもうけた後に夫が急死、32歳で仕事に復帰。「地域の人が健康で心豊かな生活ができるようにするのが仕事」が信条。ときには行政のマニュアルに逆らって現場の声を重視し、自ら決めた「道」を貫いた。

 前田さんの希望もあり、保健師としての人生だけでなく、人間として、女性としての姿も描かれている。映画では、11歳年下の獣医師との恋愛のてんまつや、名古屋市有志の同人誌「とけいだい」へ投稿した詩も披露している。

 武重監督にとって今回の映画は、名古屋市南区の南医療生協に取材した「だんらんにっぽん」(11年)、愛知県豊橋市出身の画家・中村正義さんの足跡をたどった「父をめぐる旅」(12年)に続く故郷名古屋3部作。「現在入院中の前田さんに完成した作品を見てもらいたい」と願い、名古屋での上映に向けて動いている。

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