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僕は学んだ 命の限り 「病院で授業を」18歳、最期まで

(2015年12月2日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する
画像山口孝教諭(右)と訪問授業の打ち合わせをする伊藤義希さん=1月19日、名古屋市昭和区の名大病院で

 重い腎臓がんと闘いながら、長期入院中の高校生が勉学できる道を求めてきた伊藤義希(よしき)さん(18)=愛知県春日井市=が、名古屋市昭和区の名古屋大病院で亡くなった。命が長くないことを知り「自分が残せるもの」を考え、行動する日々だった。(編集委員・安藤明夫)

 伊藤さんは昨年10月、大村秀章愛知県知事に手紙を書き「院内学級の高等部をつくってほしい。デザインの勉強をしたい」と陳情した。中学校時代から腎臓がんで同病院に長期入院しており、院内学級の仲間の励ましを力に、県立瀬戸窯業高校デザイン科に合格した。しかし、病状の悪化で登校は不可能に。院内学級は義務教育が対象のため、勉学の手段が閉ざされてしまった。

 伊藤さんの求めに応じ、県教委が検討を開始。長期入院の高校生は少数で、院内学級の設置は難しいと判断されたが、代わりに、週3回、1回2時間を上限に教員が希望科目の指導をする派遣制度が新設された。

 第1号となった伊藤さんには、ことし2月から3月にかけ、同校の山口孝教諭(62)が計4回、デザインの訪問授業をした。しかし、強い抗がん剤で伊藤さんの体の負担は限界に。治療をやめ、痛みのケアをしながら在宅中心に過ごすことになり、派遣は打ち切られた。山口教諭は「とても熱心な子でした。家にも指導に行きたかったが、制度上認められなかった」と残念がる。

 実は、伊藤さんは知事に手紙を出す半年前「治る展望はない」と、実質的な余命告知を受けていた。「自分が恩恵を受けるためじゃない。仕組みができれば、ずっと続いていく」と思いを語った。

 痛み止めも効かなくなり、再入院した伊藤さんは先月18日、医療スタッフの手を借りて10分間のビデオメッセージを撮影。懸命に笑みを浮かべ、両親や兄への感謝の気持ちを告げた。翌日、睡眠作用のある点滴を希望して眠りに入り、27日に息を引き取った。家族や友人たちへ思い出話などをつづった手紙7通を残していた。

 主治医の高橋義行准教授(48)は「人のために何かをできることが人生の価値だとすれば、義希君の18年間はとても大きい。死への向き合い方、時間の過ごし方など、彼から多くのことを学んだ」と話した。

闘病の子ども 教育の扉狭く

 闘病中の子どもたちが切れ目なく教育を受けられる仕組みは依然、整っていない。院内学級がある病院も、大半は小中学生が対象。東京都と沖縄県の一部に高等部が置かれているだけだ。

 病院への教師派遣の取り組みは、患者自身の訴えが力になって、少しずつ広がっている。大阪市の高校生久保田鈴之介さん(一昨年1月死去)は橋下徹市長にメールで陳情し、それをきっかけに大阪府が非常勤講師を派遣する制度を設けた。神奈川県でも、女子高校生の訴えをもとに同様の派遣制度が設けられた。愛知県の新制度も大阪府を参考にした。本年度に入って、県内の高校生2人がこの制度を利用。うち1人は退院して復学し、もう1人は限度枠いっぱいの訪問授業を受けて頑張っている。

 ただ、こうした派遣制度も大半は入院者が対象で、小児がんの患者に多い長期の自宅療養のケースには対応できない。義務教育段階でも、院内学級に入るには、もとの在籍校から特別支援学校への転校が必要だが、私立校だと退院後の復籍が難しい場合もある。

 伊藤さんの母・忍さん(43)は「愛知県が制度をつくってくれたことはうれしい。でも、私立高校は対象外だし、退院後も毎日通学できずに単位を取るのが難しい子もいる。大変な思いをして闘病している子たちを、きめ細かく支える制度にしていってほしい」と話す。

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