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梶田さん 亡き右腕に感謝

(2015年12月10日) 【中日新聞】【夕刊】【その他】 この記事を印刷する

あす未明 ノーベル賞授賞式

画像実験装置スーパーカミオカンデの光センサーの調整にあたる金行健治さん=2001年、千葉県柏市の東大宇宙線研究所で(鎌田久恵さん提供)

 【ストックホルム=榊原智康】ノーベル物理学賞を受ける梶田隆章・東大宇宙線研究所長(56)は8日の受賞講演で、ある研究者の名に触れた。5年前にがんで亡くなった金行(かねゆき)健治さん=当時(46)。梶田さんの「右腕」のような存在だ。栄誉を知ることなく旅立った研究者は、兄弟子の故戸塚洋二さんだけではなかった。

 梶田さんと大村智(さとし)・北里大特別栄誉教授(80)が10日午後(日本時間11日未明)、ノーベル賞の授賞式に出席する。

 金行さんは大阪大の大学院生時代、カミオカンデ(岐阜県飛騨市)の研究グループに加わり、5歳上の梶田さんと出会った。猛烈な仕事ぶりで知られる集団の中、20年以上一緒に頑張った。コンピューターに詳しく、ニュートリノの観測数値を自動解析するソフトウエアを開発した。

 講演で梶田さんは「実際にデータ解析をしたのは金行さんたちだ」と述べた。人懐っこい性格で、実験装置の故障など度重なるトラブルを乗り越えてきた。

 2005年に直腸がんを発症。闘病しながら准教授として研究を続けたが、10年5月に亡くなった。金行さんの姉の鎌田久恵さん(54)=千葉県四街道市=は「病気の進行が思ったより早く、もっと研究したかったと悔しがっていた」と振り返る。

 一昨年には「しのぶ会」が催され、約80人が集まり、思い出を語り合った。名古屋大教授の伊藤好孝さん(50)は金行さんのかつての同僚。今、梶田さんの招待でストックホルムに来ている。「金行さんは当然招かれていたはず。私は彼の代理です」。10日の授賞式には、金行さんの写真を上着のポケットにしのばせて臨むつもりだ。

同僚も見守る晴れ舞台

画像中畑雅行さん

 スーパーカミオカンデの100人を超す実験チームの代表として受賞する梶田さん。式典に参加する同僚の中畑雅行東大宇宙線研究所教授(56)は「皆の分の喜びも感じたい」と晴れの舞台を見守る。

 中畑さんは、小柴昌俊・東大特別栄誉教授(89)の研究室で梶田さんの1年後輩だった。「こつこつと研究を続けていくスタイル。非常に真面目な研究者だった」と梶田さんの印象を振り返る。

 1980年代の初めから初代カミオカンデの建設に従事した。梶田さんと共に作業員の寮に寝泊まりし、直径50センチあるガラス製の光センサーの検査や取り付けなどの「泥くさい仕事」(中畑さん)に取り組んだ。

 観測開始後、梶田さんはニュートリノのデータの異変に気付いた。中畑さんは「チームは皆、梶田さんの指摘に疑心暗鬼だった」と明かす。それでも梶田さんは自分のやっていることを正しいと信じて研究を続けた。後継機のスーパーカミオカンデになってからも、膨大なデータを積み重ねて解析し、歴史的な成果を挙げた。

 記念講演を会場で聴いた中畑さんは「兆候をつかまえた時や確実な証拠を捉えた話を、臨場感を持って聞けた。チームワークや若い研究者のことも話してくれた。地道に研究を進めてきた梶田さんらしい発表だった」と語った。(共同)

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