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〈支えられるココロ〉 脳出血で倒れて(上)

(2016年2月17日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する

共倒れ覚悟の在宅介護

画像妻の玲子さんと一緒に発声練習する佐藤栄索さん=東京都杉並区で

 「オ・ン・ジ・チ・ワ(こんにちは)」「ア・リ・ダ・ト・オゥ(ありがとう)」−。

 動かしづらい口を一生懸命に開けながら、声を振り絞る。佐藤栄索(えいさく)さん(58)=東京都杉並区=の発声練習が始まった。「ほら、口の形はこうでしょ」。妻の玲子さん(52)も、横で負けじと口を開ける。夫婦二人、こんなふうに毎日見つめ合い、文字通り手を取り合って暮らして8年4カ月が過ぎた。

 2007年9月18日夜、自宅台所でパジャマ姿の佐藤さんが倒れているのを、当時大学生だった長女早苗さん(29)が帰宅して見つけた。玲子さんは、たまたま友達と映画に出掛けていて留守。「だいじょうぶ、だいじょうぶ・・・」。早苗さんに抱えられていすに座った佐藤さんはつぶやいたが、体は再び右側に崩れ落ち、意識もなくなった。

 救急車が何軒かの病院を巡った後に到着したのは、西隣の東京都武蔵野市の病院。玲子さんが遅れて駆けつけると、医師が告げた。

 「まず良いお知らせ。ご主人は命に別条はありません。悪いお知らせは、一生介護状態となること。今後働くとか、しゃべるようになるとは思わないで」

 左前部の脳出血により、右半身まひ、高次脳機能障害、全失語、との診断。玲子さんは、誰か他人のことを言われている気がした。

 佐藤さんは山形県の織物工場の次男に生まれ、早稲田大に進学。憧れの応援部に入った。171センチ、100キロの巨漢ながら、人懐こい性格。6大学野球の応援では元首相と同じ読みの名とひょうきんな話芸で「神宮の名物男」となった。野球好きの高校生だった玲子さんとも、そこで知り合う。

 卒業後は3年の会社勤めの後に社会保険労務士として独立。300人近い顧客を抱えて仕事も、家庭も順風満帆だった49歳のときの突然の出来事だった。

 「もしかしたらこれは夢? 明日になれば『おはよう』と言って起きてくるのでは」。玲子さんの思いも通じず、佐藤さんは眠り続けた。「エイサク! 寝てる場合じゃないぞ」。見舞いに来た応援部の同期の声掛けに「あー」と、反応したのは1カ月半後。病床で体を起こす、座る、車いすに乗るといったリハビリを経て、退院のめどが立つまでさらに4カ月を要した。

 しかし、退院が迫って玲子さんは焦る。佐藤さんは日常生活にほぼ全介助が必要な要介護4(現在は3)の状態。主治医やケアマネジャーら誰もが在宅介護を想定せず、言われるがまま施設を探し始めた。

 ただ、病院で毎日3時間も行っていたリハビリが、施設では介護保険の制度上月に計4時間余しか受けられない。また、50歳になったばかりの夫に対し、周囲は高齢者ばかり。それでいて、費用が安い多床室は仕切りのカーテンすらないところも。

 自宅から3時間近くかかる郊外の施設も含め数カ所を下見した後、玲子さんは何げなく言った。「あなた、家に帰る?」。途端、佐藤さんの顔が輝いた。

 床の段差解消、浴室の全面改修など約800万円かけてリフォームを行った後、佐藤さんが自宅に戻ったのは、倒れてから9カ月後の08年6月末。この間に1人娘の早苗さんは新潟に嫁ぎ、玲子さんにとって頼る人は誰もいなかった。

 「くよくよしても始まらない。向き不向きより前向き!」「共倒れも覚悟」(玲子さん)の二人三脚が始まった。(白鳥龍也)

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