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<浜通りの片隅に>東日本大震災6年(1) 安らぎの場

(2017年3月8日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する

障害児の混乱受け止め

 福島県相馬市の沿岸部にある障害児の放課後支援事業所「ゆうゆうクラブ」。窓際のソファで、小塚史歩さん(18)=相馬養護学校高等部3年=は、頭から毛布をかぶり、CDプレーヤーから流れる童謡に合わせて、笑い声を上げていた。

 知的障害を伴う自閉症。聴覚が過敏で、予期できない話し声などが苦手だ。毛布で物音を和らげながら音楽に浸るのが、お気に入りの時間。「ちぎり絵も好きなんですよ。本当に落ち着いてきました」と、同クラブ代表の菅野友美子さん(56)は目を細めた。

 震災前に通っていた相馬養護学校は避難区域内で、生徒たちは県内の特別支援学校内の「分教室」へと散り散りになった。史歩さんは分教室を経て、翌年度、相馬養護学校へ転校した。菅野さんら発達障害の子を育てた母親たちが震災の翌月から相馬市内のカルチャーセンターを借りて、ゆうゆうクラブの活動を始めていたことが幸いした。

 史歩さんにとって、震災後の日々は恐怖の連続だった。自宅は、福島第1原発から約25キロの同県南相馬市原町区。家屋の被害は軽かったが、原発事故後、一家は秋田県の父の実家へ自主避難した。しかし、地震の体験に加え生活環境が一変したことにおびえて精神的に不安定になり、2カ月弱で自宅へ戻った。

画像毛布をかぶり、お気に入りのCDのジャケットを見ながら、童謡を楽しむ小塚史歩さん(右)。「安らぎの時間」を菅野さんが支える=福島県相馬市のゆうゆうクラブで

 「初めは、史歩ちゃんは来るときも帰るときも、固まって動かなくなったりして大変でした。ゆったりできる場を設け、環境を整えることで、だんだん安定していきました」と菅野さん。日本発達障害ネットワークの専門家たちも頻繁に訪れて協力。遊具類も続々と集まった。翌年、菅野さんたちはNPO法人を設立。被災した菅野さんの実家を修復してクラブの拠点にした。県の委託を受け、支援事業を広げている。

 元保育士の菅野さんも、介護が必要な母がいる。夫は震災前に病気で亡くなり、知的障害を伴う自閉症の長男耕史さん(33)は県内の障害者施設に入所中。育児、看護、介護の大変な日々を乗り越えてきた経験が、若い親たちを支える情熱になっている。安らぎの場を得た史歩さんは高等部に通い続け、やがて卒業式を迎える。しかし、その後が決まっていない。

 労働人口の減少が目立つ原発周辺地域では、人手不足が大きな課題。企業が“即戦力”にはなりにくい障害者を育てる力や授産施設の受け入れ力も落ちているという。「ふるさと再興」を掲げる地域に、若い障害者たちの居場所はまだ見えてこない。

 史歩さんの母親(48)は「いくつかの事業所で実習を受けましたが、採用は見送られました。私が勤めを辞めて世話をしなくてはならないかも」と話す。

 「浜通り」。この美しい名を持つ福島県沿岸部は、東日本大震災と福島第1原発事故で深い傷を受け、人口減など多くの課題にあえぐ。震災から6年。ここに暮らす生活弱者、支援者の姿を通じて、復興の現状を見つめる。(この連載は編集委員・安藤明夫が担当します)

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