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〈いのちの響き〉ALS患者として生きる(上) 新妻の支えで情報発信

(2017年3月16日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する
画像武藤将胤さん(右)は妻の木綿子さんに支えられ自身が出演するプロモーションビデオを制作。病気を啓発する=東京都港区で

 出会いは2013年の夏、東京・恵比寿のバー。広告代理店社員の武藤将胤(まさたね)さん(30)=東京都港区=は、1人でいた隣の席の女性客に声を掛けた。後に妻となる木綿子(ゆうこ)さん(33)だった。

 学生時代からの憧れだった仕事に就き、テレビ番組やCMの制作に関わっていた入社4年目。そんなときの運命の出会い。まさに、人生の絶頂期だった。

 木綿子さんは「遊び人っぽい」と、武藤さんに対して警戒心が先に立った。しかし、話すうちに親しみも感じた。そんな折、木綿子さんは武藤さんの手が小刻みに震えているのに気付いた。緊張の表れと思い、連絡先を教え合った。

 武藤さんも震えは自覚していたが、疲れだろうと気に留めなかった。しかし、それは神経の障害で、全身の筋肉が少しずつ衰えていく難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」の予兆だった。

 次第に体は言うことをきかなくなった。ペンや箸がうまく持てなくなり、服のボタンも留められなくなった。インターネットで調べると、自分の症状がALSに酷似していると分かった。しかし、現実を直視できなかった。「歩けなくなったり、自力呼吸ができなくなったりする」「進行が早く、発症から余命は3〜5年」。ネットの複数のサイトに、ALSはこう説明されていたからだ。「僕はALSじゃない」。そう信じようとした。

 しかし、自分の体に何が起きているのか、はっきりさせたいという思いも強くなっていった。木綿子さんの勧めもあり、14年10月、専門医のいる仙台市の病院を訪ねた。診断はやはりALSだった。それ以上の医師の説明は頭に入らなかった。病室を出ると、付き添いの両親が無言で背中をさすってくれた。覚悟はしていたが、涙があふれた。「仕事も、夢もあきらめなきゃいけないのか」

 東京への帰路、生きる意味を自問した。学生時代は自ら立ち上げたイベントサークルで、社会人では広告制作などで、人と人との出会いに携わってきた。これまでのことを思い出すと「残りの人生でも同じことを続けることが使命」と、腹をくくれた。東京駅から、決意を木綿子さんに伝えた。

 診断から約2カ月後。木綿子さんの誕生日にプロポーズした。「一生で一番迷った。でも断られても、気持ちだけは伝えたかった」

 木綿子さんは、病気にも前向きな姿勢に「すごい」と感じ、結婚を快諾。「どんどんやせて歩き方が危なっかしくなる彼を、支えたいと思った」。2人は15年5月に婚姻届を出した。

 伴侶を得た武藤さんは行動を起こす。16年2月に一般社団法人「WITH ALS」を設立した。「ネガティブ(消極的)な話はもう要らない。(患者の)前向きなニュースを届けたい」と考えた。

 同年6月には、自身が作詞した曲を友人のミュージシャンに歌ってもらい、プロモーションビデオを作った。自ら出演し、ネット配信もした。

 歌詞は木綿子さんを思ってつづった。

 奪われたものもあるけど

 悲しませることもあるけど

 大切なことに気づけたから

 決して1人じゃないんだ

(細川暁子)

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