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考える広場ー人口減少の先に何を見る? 歴史人口学者 鬼頭宏さん

(2017年3月25日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する

文明の転換に備えよ

きとう・ひろし鬼頭 宏さん

 右肩上がりで増えてきた日本の人口は減少に転じ、今後100年でピーク時の3分の1にまで減るとも推計されている。これまでと同じ発想では、とても社会は維持できなくなるだろう。では、人口減少、少子高齢社会の将来像をどのように描けばよいか。歴史人口学者の鬼頭宏氏に聞く。

 井上 人口問題といえば、しばらく前までは人口の増加、人口爆発の問題でした。それが、今度は人口減少こそが大問題だということになり、社会が大いに戸惑っているようにも見えます。歴史的に見たとき、人口が増える、人口が減るとはどういうことなのでしょう。

 鬼頭 古い時代の人口については信頼すべき統計もなく、人口の増加とは、長らく、産業革命以降の出来事だと考えられてきました。ところが、近年の研究で近代以前の人口動態も詳しく分かるようになり、考え方が変わってきました。つまり、人口が増加する時期、減退する時期を何度も繰り返していることが分かってきたのです。人口が減っていくことをもって異常なことが起きていると考える必要はない、ということです。

グラフ

 井上 日本の人口も増減を繰り返してきたのですか。

 鬼頭 今のような勢いで減るわけではないが、日本も人口減退の時代を経験しています。

 日本列島の人口は、縄文時代前半に増え、後半は減った。次は弥生時代から奈良・平安時代まで増えるのですが、700万人ぐらいをピークとして鎌倉時代にかけて減っていった。3度目の波は室町時代に始まり、江戸時代の中期、3千万人ほどで頭打ちになります。ところが、幕末からまた人口増加が始まり、1億2千万人を超えるまでになったのです。

 日本の人口は2008年をピークに減少に転じましたが、今回は、つまり、4回目の人口減退期ということになります。

 井上 過去の人口減少は、例えば寒冷化などの気候変動、あるいはペストなど感染症の流行といった環境の変化がもたらしたものですね。

 鬼頭 もちろん関係はありますが、それだけでは説明がつきません。例えば、欧州の人口は、ローマ帝国の崩壊で減少した後、増加に転じ、また、14世紀に入って大きく減っています。その人口減少はペストの大流行で説明されてきましたが、歴史人口学の研究者は別の見方をします。調べてみると、人口増加率は、実は、ペスト流行の前から落ちているのです。つまり、落ち始めてからペストや寒冷化が追い打ちをかけたと考えられるのです。

 大きな流れを見れば、人口の増加や減退は、むしろ社会の構造、文明システムの転換や成熟に深く関係していることが分かるはずです。

 井上 では、日本列島の人口の増減は、どのように説明できるのでしょう。

 鬼頭 生活が狩猟・採集で成り立っていた縄文時代は、生態系の生産力によって人口が規制される。だから、中期以降の寒冷化に直接、影響を受けた。

 ところが、稲作が始まると、その社会の人口収容力の大きさは耕地面積や水、燃料など環境資源の量で決まるようになる。

 その収容力が上限に達して人口が増えなくなると、今度は室町時代以降、農業社会にも市場経済が浸透し、経済合理性の追求が土地生産性の向上をもたらしました。とはいえ、土地に依存する農業社会であることに変わりなく、鎖国体制下の元禄期ごろ、人口収容力は上限に達して3度目の減退期に入ります。

 こうして明治時代を迎え、工業化によって人口収容力が格段に大きくなった。4度目の減退期は、つまり、工業化に依存する文明システムの行き詰まりということでしょう。

 井上 停滞、衰退の時代が始まるということでしょうか。

 鬼頭 過去の減退期に何が起きたかを調べることが、人口減少社会の将来を考える上で参考になるはずです。これまで3回の人口減退期は、単なる停滞の時代ではなく、次の文明システムを準備する成熟社会の時代でもありました。経済と人口の量的拡大が困難になるたびに、新しい資源、新しい技術、新しい制度への転換が行われたことを見落としてはなりません。

 井上 過去3回の人口の増減に比べ、明治期に始まった4回目は増え方が格段に大きく、予想される今後の減り方も極端に激しい。数字を見ていると、どうしても不安が広がります。

 鬼頭 出生率の低下、人口の減少は日本に限らず、先進諸国に共通して起きています。経済の発展に伴い、その国は「多産多死」から「多産少死」を経て「少産少死」に至る、という現象が共通して見られます。人口学では、この変動パターンを人口転換と呼んでいます。その間に人口は急増するのです。

 死亡率が改善されると、なぜ出生率が下がるのか。さまざまな議論が試みられましたが、行き着くところ、子どもが死ななくなったから、たくさん産まなくてもよくなったんだ、と。問題は、出生率がどこまで下がるか、ということになります。

 井上 今の水準のままでは、人口は減り続けることになります。出生率回復の手掛かりはあるのでしょうか。

 鬼頭 日本の合計特殊出生率が2・0を割ったのは1975年。西欧諸国や米国と、ほぼ同時期です。ところが、その後、米国や英国、フランス、北欧では出生率が2前後まで回復したのに対し、日本やドイツ語圏諸国、南欧は低いままです。

 フランスの人口学者、エマニュエル・トッド氏は欧州の少子化について研究し、地域に固有の家族制度が影響していると唱えています。それは、日本や韓国など東アジアの低出生率国にも当てはまりそうです。

 つまり、出生率が回復した英米仏などは、伝統的に核家族が多い。それに対し、日本、ドイツ、イタリアなどは、近代化する前は3世代家族が多かった。近代化して初めて核家族を経験する地域には、夫婦だけで子どもを育てる仕組みが社会の中にうまく出来上がっていない。それが、低い出生率につながっている、というわけです。

 井上 人口減退期が文明システム成熟の反映だとすると、次に目指すべきは何でしょう。

 鬼頭 先進諸国の出生率が2を割り込んで少子化の局面に突入したのは、どんな時代だったか。68年、米国の宇宙船アポロ8号が撮影した月面から昇る地球の姿は衝撃的でした。爆発的に増える人口を養う地球の何と小さいことか。73年にはオイルショックが起き、限りある資源への意識が強まる。要するに、このままではいけないと人々が考え始めた時期です。

 つまり少子化は、化石燃料、ウランなど鉱物資源に依存する産業文明が行き詰まり、持続可能な発展・開発を可能にする新たな文明への転換を準備する時代が来たことを象徴しているのだと思います。再生可能エネルギーをベースにした社会に転換する時が来たということです。

 今、問われているのは、これまでと同じような価値観と発想で国内総生産(GDP)600兆円を目指すことでも、1億人の人口を維持することでもないはずです。豊かさの指標を何に求め、どんな社会をつくるのか、が問われているのです。

 きとう・ひろし 1947年、静岡県生まれ。慶応大大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。上智大経済学部教授などを経て2015年から静岡県立大学長。専門は歴史人口学。主な著書に『人口から読む日本の歴史』『文明としての江戸システム』など。

 合計特殊出生率 人口統計上の指標で、1人の女性が一生に産む子どもの平均数を示す。出産可能年齢とされる15歳から49歳までの女性の年齢別出生率を合計して算出する。日本では1975年に2を割り込み、2005年の1.26まで下がった後、少しずつ回復して15年は1.45。人口が増加も減少もしない均衡した状態となる合計特殊出生率の水準を「人口置換水準」といい、現在は2.07。子どもの死亡率が高かった70年代前半には2.1を超えていた。

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