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2年10カ月待ち心臓手術 教師が「いのちの授業」

(2017年4月18日) 【中日新聞】【朝刊】 この記事を印刷する

何度も危機乗り越え生還 再受験し復職果たす

画像心臓移植を受けた体験を授業で語る寺西成夫教諭=愛知県扶桑町の丹羽高校で

 重い心臓病で余命1カ月と宣告されながら、国内で心臓移植を受けて生還した愛知県小牧市の高校教師寺西成夫さん(59)は、担任を受け持った生徒や近隣の中学生らに、闘病の経験や臓器移植について伝えている。「いのちの授業」を取材するとともに、移植医療への思いを聞いた。(稲田雅文)

 4月中旬の午後、丹羽高校(愛知県扶桑町)の1年生の教室。学級活動の時間を利用して、先日入学したばかりの生徒約40人を前に、寺西さんは語り始めた。

 「実は僕の心臓は、自分のものじゃないんです。人さまのものをいただいて、僕の中で動いてこうして生かしてくれている」。担任を受け持った生徒には必ず話し、近隣の中学校に出向いて講演もする。苦しかった闘病のことを一通り伝えると、こう呼び掛けた。「生きることはつらい。苦しい。だけど楽しい! 人生で何回倒れてもいいけれど、立ち上がろうぜ」

 中堅の英語教師だった30代のころ、健診で心臓の異常を指摘され、精密検査で拡張型心筋症と分かった。心臓の機能が徐々に低下する病気で、医師からは「最終的に心臓移植でしか助からない」と説明された。死を初めて実感した。

 無理しないよう教師生活を送っていたが、病気は徐々に進行。階段を上るだけで息切れし、授業中にふらついてしゃがみ込んだ。

 診断から9年ほどで本格的な治療のため、県内の大学病院に入院。しかし、快方には向かわず、数カ月で「これ以上の治療はない」と告げられた。体中に機器が取り付けられ、ベッドに寝たきり。「病院で死ぬ」と覚悟し、親類を呼んでお別れをした。

 そんな時、主治医から「治験で米国から持ち込んだ補助人工心臓が6台あり、うち1台が使える。このままではあと1カ月で亡くなる。賭けますか?」と伝えられた。大阪の病院に移って装着すれば1年か1年半持ちこたえられ、移植が受けられる可能性があった。

 家族を大阪に呼び寄せる必要があり、移植が受けられる保証もない。悩んだが「迷った場合はやろう」と決断。ヘリコプターで大阪へ運ばれた。

 補助人工心臓の装着で、再び歩けるように。しかし、提供者はなかなか現れなかった。社会と隔絶した入院生活が続く。補助人工心臓の故障や感染など生命の危機を何度も乗り越え、2年10カ月待って心臓移植を受けることができた。

 休職期間が3年を超えたため、退院直前には規則で退職になっていた。家に戻っても「所属がないことがつらかった」。長い闘病で体力が低下していたことも重なり、気分が落ち込んだ。半年ほど家に引きこもっていたが、あるとき「悩むために生還したわけじゃないぞ?」との思いがわき奮起。勉強を始め、若者に交じって教員採用試験を受け直した。50歳を目前にして2度目で合格し、正教員として復職を果たした。

 免疫抑制剤など服薬は必要だが、気力や体力は入院前よりも充実している。来年3月には無事定年を迎える。「生還できると思っていなかった闘病中と比べたら、今はどれだけ幸せか。提供者とその家族には本当に感謝しています」

 授業や講演で移植のことを語るときは「死ぬときのことを考えて」とも呼び掛ける。「どういう死に方をしたいか考えるのは、どういう生き方をしたいかを考えることにつながる」と思うからだ。できれば家族とも話をするよう勧める。「いちばん嫌なことを話せるのは信頼関係があるから。そういう話ができる家族は素晴らしい」

 移植医療で劇的な回復を果たしたからこそ、欧米などと比べて立ち遅れた日本の移植の現状は「歯がゆく感じる」という。「移植の技術は世界でトップレベル。“臓器提供をしてもいい”という善意は確実にあるはず。自分のように移植ができたら回復する人がもっといるはずなのに、善意が病気で苦しむ人に届かないのは、もどかしい」

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