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〈生きる支える 心あわせて〉 認知症隠さず社会へ出る

(2017年4月26日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する

家族、地域に見守られ

画像笑顔で散歩する小谷勉さん(中)と弘子さん(左)、智子さん(右)。途中、勉さんは「お父さんは今でも力持ちなんやで」とおどけてみせた=奈良市内で

 「ウオォッー」。ドンッと放ったボールがレーンを走って全ピンを倒すと、オレンジ色のキャップにTシャツ姿の「タニヤン」が顔をしわくちゃにして雄たけびを上げた。仲間がハイタッチやハグで祝福。絶好調で投げ終えたスコアは142点だった。

 静岡県富士宮市で3月に行われた全国の認知症の人たちと支援者らのボウリング交流会。若年性認知症のタニヤンこと奈良市の小谷勉さん(60)は、妻の弘子さん(59)と一緒に参加した。投げる順番や自分のレーンが時折分からなくなるものの、元気全開の力投ぶりはみじんも病気を感じさせない。「ここに投げるんやで」。弘子さんがぴったり寄り添って教え、ストライクのたびに一緒にバンザイした。

 勉さんは奈良県天理市生まれ。隣の同県橿原市の高校に進み2年の春、弘子さんが通学列車の同じ車両に新入生として乗り合わせるようになった。「かわいい子やな」。勉さんは弘子さんを見初め、1年後に交際を申し込む。「優しそうな先輩」と弘子さんもOK。2人は登校途中に制服のままフイと電車を乗り換え、三重県の伊勢までデートに出掛けるなど、ドラマのような青春を過ごした。

 卒業し、共に地元に就職した後も交際を続けた2人。弘子さんに見合い話が来たのを機に、勉さんが「はよ(見合いを)断って」と求婚しいずれも23歳で結婚。長女智子さん(34)、長男聖(たかし)さん(33)に恵まれ、薬師寺の鐘の音が響く住宅街にマイホームを築くなど順風に人生を送った。

 「あれ、どこにしまったんやろ」と家の中をくまなく捜し回る。そんな異様な物忘れが勉さんに出始めたのは53歳ごろ。「男性の更年期かも」と様子を見ていた弘子さんだが、症状は治らず2年後に脳神経外科を受診させた。診断は「海馬が萎縮している可能性がある」。医師の言い方は遠回しだったが、アルツハイマー型認知症であるのは動かし難かった。

 「私の知っている勉さんがいなくなる」「今後どうやって暮らしたら」。勉さんがふさぎ込むのと同時に、弘子さんの不安も極限に達した。ただ、病院看護師で同居する智子さんの助言もあり、病気を隠さず、診断直後から若年性認知症の支援について市に相談。地元には、国内でも先駆的な民間の支援センター「きずなや」や専門の家族会があることを知り、夫婦や智子さんも加わって顔を出した。勉さんが勤めていた看板設置会社も、軽作業を任せて昨年末まで雇用を続けてくれた。

 勉さんは今、平日は毎日きずなやに通い、近くの広大な農地の手入れにいそしむ。病気で気持ちを表現するのは難しくなったが、何事も真面目かつ器用にこなす性格は変わらない。「手際が良く、若い職員が教えてもらう方」。熱心な仕事ぶりには、きずなや代表の若野達也さん(43)も感心しきりだ。

 一方弘子さんは週3日、通所介護施設にパート勤務し、家計を助けるとともに認知症ケアの方法を学ぶ。「今はできるだけ父を支えたい」と言う智子さんの存在が心強い。結婚し近所に住む聖さんも何かあればすぐに駆けつける。

 「最初から認知症を隠して閉じこもろうなんて全く思わなかった。みんなが助けてくれるから」と弘子さん。初恋を実らせて生まれた家族と地域に見守られ暮らす勉さん。いつも弘子さんと腕を組み出掛ける姿を近所の人から冷やかされると「すいません」と小声でつぶやき、また顔をしわくちゃにした。(白鳥龍也)

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