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〈生活部記者の両親ダブル介護〉(16) 米食べられぬ米農家

(2017年5月10日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する

馬のえさを横取り

画像写真がぶれるほど素早くどら焼きを口に運ぶ父。一番の食べたい盛りに食べられなかったせいかもしれません

 父(80)の話も聞いてみる。母(81)が空襲で燃える鹿児島市の炎を見ていた時、同じ「少国民」として父はどうしていたのか。母はサツマイモの茎を食べていたが、農家に生まれた父は食べ物には困らなかったのではないか。

 「そんなことない。米なんて食えんかった」。かすれる声で父は答える。米農家のはずだったが、と問うと父は言う。「つくった米は国に供出せんといかん」

 落ち武者だという三浦家の先祖。田は山の斜面に開くほかなかった。「だから段々に田んぼをつくって…」。ダム工事で消えた集落跡へ父に何度か連れられて行った。すでに杉林に覆われていたが、こけむした石積みが確かに山の上まで続いていた。「石を積んで細かに仕切るで、ちょっとしか植えられん。平らな田んぼの半分もとれん」

 だが、役所は地図だけ見て面積あたりの供出量を決める。平らな田の農家は供出分と家の分を確保し、残りはヤミにも売れたが、父の家では供出分がやっと。「『すまんが、この米は食わせられんのや』。おやじが言っとった」。いかにもというお役所仕事。結果、米農家の子どもはイモばかり食べていた。

 「腹減って。クラブ(隣保館・公民館のこと)に置いてある大豆の搾りかすをくすねて食べて。本当は馬に食わせるやつを横取りしたんや」「馬には何を?」「道端の草を刈って…」

 父の兄弟姉妹はほとんどが鬼籍に入り、当時を語れるのは父ぐらいになった。母のいる病院に向かう時間だ。「続きは今度聞かせてよ」。去り際に言う。父は話し足りなそうな表情でうつむいていた。(三浦耕喜)

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