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〈いのちの響き〉心臓病児の居場所(上) 心を刺す「預かれない」

(2017年5月10日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する
画像酸素ボンベが手放せない山田優志君(中)。母・典子さん(右)は看護師で、祖母の妙子さんが預かった=東京都大田区で

 酸素ボンベを載せたカートを引っ張って、東京都大田区の小学3年生山田優志君(8つ)が通学路をゆっくり歩く。生まれつき心臓の弁の一つが閉じていて血液が流れにくい「三尖(さんせん)弁閉鎖症」。肺や体の隅々まで酸素を送り届ける血液を、一つの心室で送り出さなくてはならないため、息苦しくなってしまう。これまで4回の手術を受けたが、完治は難しいという。

 区立小学校の特別支援学級に通うのに、いつもはボンベと一緒に車いすに乗り、母親の典子さん(35)に押してもらう。だが先月、初めて約1.5キロの道のりを自力で歩き通した。

 ボンベの重さは約5キロ。カートに載せても、小さな手には重さがずっしりと響く。それでも優志君は「酸素チューブはね、僕の大事なもの」とほほ笑む。途中で何度も立ち止まりつつ約20分かけて歩き通すと、典子さんは「たくましくなった」と目を細めた。

 典子さんは、看護師として働きながら優志君を育ててきた。これまで一番感じてきたのは、病気がある子と母の行き場のなさだ。保育園を探していて、ボンベを理由に、「こういう子は、どこも預かれない」と言われたこともある。

 2008年8月、典子さんは当時勤務していた大学病院で優志君を出産。優志君は直後の検査で心臓の異常が分かり鼻に酸素チューブを付け、約1カ月後に手術を受けた。だが退院後も、泣くと酸素が不足して顔が紫色になるチアノーゼの症状が出た。典子さんは苦しまなくて済むように、抱いてあやし続けた。

 ベビーカーに優志君とボンベを載せて買い物に出掛けると、見ず知らずの人から「かわいそうに」と声をかけられたことが何度もあった。「酸素チューブは優志の体の一部なのに」。同情されることに傷ついた。児童館に優志君を連れて行っても、他の母親たちは腫れ物に触るかのように話し掛けてこない。児童館には足が向かなくなった。

 09年4月、心臓に人工血管を入れる2度目の手術を受けて、優志君の病状は安定。典子さんは、大学病院への復帰を決心した。そこで区に保育園の申し込みに行って、言われたのが「どこも預かれない」の一言だった。保育士たちは医療知識がなく、ケアができないからという理由だった。しかし、実際は特別な処置は必要ない。「病気の子どもがいたら、働けないのですか」。詰め寄っても、返答は変わらない。社会から取り残された気がした。

 夜勤を含むローテーションのフルタイム勤務は難しいと、大学病院は退職した。だが家計は苦しく、働かなくてはならず、近くに住む典子さんの母、妙子さん(78)が預かってくれることになった。週4日午前8時半から午後4時半までの条件で働ける病院に採用され、典子さんは10年2月、優志君が1歳半で仕事を再開した。

 日中の大半を祖母の元で過ごすようになった優志君には、他の子と遊べる場所がなかった。「優志に友達をつくってあげたい」。11年の夏、情報を探していた典子さんは、インターネットで都内にある心臓病児のための保育室「こばと園」の名前を見つけた。

 世の中に居場所がない。そう思わされてきた親子の前に、道が開けていった。(細川暁子)

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