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〈いのちの響き〉心臓病児の居場所(下) 入学の壁 仲間と越える

(2017年5月11日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する
画像特別支援学級に通う山田優志君(右)。母親の典子さんは「医療的ケアが必要な子が交流できる場所が増えてほしい」と願う=東京都大田区で

 東京都台東区にある心臓病児のための保育室「こばと園」。重い心臓病で、酸素ボンベが欠かせない小学3年の山田優志君(8つ)=東京都大田区=は就学までの3年ほど、自宅から電車で40分ほどをかけてこの場所に通っていた。

 通い始めた2011年の7月ごろ、3歳になる直前だった優志君はまだ「ママ」などの単語しか話せず、歩くこともできなかった。ボンベを理由に保育園に入れず、母親で看護師の典子さん(35)が働いている日中は、近くに住むおばあちゃんの家で過ごした。そのため、子どもが大勢いる場所にはほとんど行ったことがなかった。こばと園の保育士、相川美和子さん(49)は不安そうに周りの子どもたちを観察していた優志君をよく覚えている。

 だが、何度も通って慣れると、他の子どもたちと一緒にままごとなどをするように。「どうしたの?」「大丈夫?」。次第に相手を気遣う言葉も出るようになった。おしりで跳びはねるように他の子たちを追いかけるうちに、いつの間にか歩けるようにもなった。やっと見つけた居場所だった。

 こばと園は心臓病の子どもがいる親たちが1976年に開いた自主運営の保育室。毎週火曜と金曜日の午前10時半から午後2時まで、就学前の心臓病児が親の付き添いのもとで保育士と一緒に遊んだり歌ったり、お弁当を食べたりして過ごす。優志君が通っていたころは、ほかに約10人の子がいた。

 だが2014年夏、典子さんが小学校入学の準備を始めると、新たな壁が立ちはだかった。区教委に勧められて見学に行った特別支援学校では、学校の先生たちは酸素管理ができないため通学には親の付き添いが必要だと言われた。働いている典子さんは毎日の付き添いは無理だ。

 こばと園の保育士らに相談すると、「私たちが力になるから大丈夫」と言ってくれた。区教委が開く就学相談の会議に保育士らが出席し、こばと園では酸素吸入によるトラブルがなかったことなどを説明してくれた。主治医にも酸素チューブが鼻から抜けても命の危険性はないという診断書を作成してもらい、小学校の入学式まで2カ月を切った15年の2月、親の付き添いなしで区立小学校に通学できることになった。

 現在、優志君は特別支援学級に在籍する。児童は1〜6年生の計10人。アットホームな雰囲気だ。優志君は「年上のお兄ちゃんと休み時間に遊ぶのが楽しい」と話す。体育の授業は苦手だが、長縄跳びをする時は縄をくぐるなど、先生や友達が一緒にできる方法を考えてくれている。

 「医療的なケアが必要な子は、どこも預かれない」。保育園探しではそう言われた優志君だが、居場所はちゃんとあった。学校もすっかりその一つだが、それでも親子にとってこばと園は今も心の支え。卒園後も年に2回、イチゴ狩りやバーベキューを在園児や卒園児と一緒に楽しむなど、交流が続いている。

 典子さんは「医療的ケアが必要な親子は、保育園の入園や小学校の入学などの節目で壁にぶち当たる。こばと園のような、情報交換したり気持ちを共有できたりする場所が増えてほしい」と話す。(細川暁子)

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