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【わたしの転機】保護者の支えになりたい

(2017年6月7日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する

働きながらの介護を経て心身障害者支援に思いを注ぐ

画像利用者と触れ合う山田和孝さん=名古屋市天白区で

 建築プランナーの山田和孝さん(69)=名古屋市天白区=は、重い障害がある人が日中を過ごす施設の支援員と二足のわらじを履く。母親の介護を通じて社会福祉に興味を抱き、60歳で新たな世界へ飛び込んだ。障害のある人に理解を深めるうちに課題が見え、「ライフワークになった」という。

 建築プランナーの仕事は、例えば障害者や高齢者らの複合施設を造るとき、建物の配置などを考えて計画を練り、建築士らと一緒に作り上げます。なので、以前から仕事で福祉にかかわる機会はありました。

 還暦を迎え、建築の仕事が減って時間に余裕ができたとき、障害者施設を運営している友人に誘われて、働くようになりました。送迎や食事介助などが主な仕事です。

 利用者は、特別支援学校を卒業した18歳から40代の重症心身障害者13人。身体と知的の両方に重度の障害がある人たちです。ほとんど寝たきりで、移動には車いすが欠かせません。胃ろうなどをしていて医療的ケアが必要な人もいます。会話が難しい人も多く、家族や医師、看護師、施設職員ら多くの人の支えなしに暮らすのは困難です。

 26年前、母がアルツハイマー型の認知症と診断され、それが社会福祉に関心を持ったきっかけです。徘徊(はいかい)して警察に見つけてもらうこともしばしば。妻に協力してもらい介護しましたが、最終的には老人ホームで暮らしてもらうことになりました。

 介護保険制度ができる直前で、制度づくりの議論が盛んな時期。制度の充実を目指す市民団体にも加わったので、多少は社会福祉について知っているつもりでした。でも、施設で働いてみると、高齢者と障害者では制度が違うし、障害者の暮らしを分かっていないことに気がついた。これはよくないと、ホームヘルパーの資格を取りました。

 重症心身障害者にとって、親の存在はとても大きい。しかし、介助、医療機関への通院、リハビリなど自宅で受ける各種サービスの調整など、親は大変です。心身両面でサポートが必要だと思いました。大規模災害時にどこへどう避難するか、親亡き後にどう暮らすのかも難しい問題です。

 今月中に、名古屋市内の保護者を中心に自助グループをつくり、事務局を担当します。相談し合えるようなネットワークを築いてもらい、行政などに必要な施策を働き掛けようと思っています。(諏訪慧)

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