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〈いのちの響き〉筋ジスに負けず就労 (上) 「在宅」がかなえた念願

(2017年6月21日) 【中日新聞】【朝刊】【その他】 この記事を印刷する
画像勤務先から貸与されたパソコンで画像を加工する河本圭亮さん=名古屋市内の自宅で

 電動車いすに座って机に向かう。パソコンに届いていた勤務先からのメールを開くと「業務連絡。画像の切り出しをお願いします」。今日の業務内容を指示する内容だ。腕はうまく動かせないが、くるくると手首をひねってマウスを操り、輪郭に沿ってクリックしていくと、キャラクターの背景が消えていく。

 この春、愛知県立港特別支援学校(名古屋市港区)の商業科を卒業した河本圭亮(けいすけ)さん(18)の仕事場は自宅。筋力が次第に衰える筋ジストロフィーで、自力では上半身も動かしにくい。作業中はほとんど同じ姿勢が続くため、仕事を終えてベッドに横になると背中がこわばっているのを実感する。でも、「働けるなんて思っていなかった。仕事ができることが、めっちゃうれしいです」と、顔いっぱいに笑みを浮かべる。

 勤務先は、企業のフリーペーパーやホームページの作成などを請け負う一般社団法人「福祉情報技術サポートセンター」(同市北区)。障害がある生徒が新卒で、在宅で正規雇用契約を結ぶのは同校では初めて。県内でも「とても珍しい」(県教委)という。

 当面の勤務は1日3時間を週3日。体力の不安だけでなく、自宅にこもりきりにならないようデイサービスに通い、障害者スポーツ「ボッチャ」の練習に行くためだ。時間が短いため社会保険には入れないが、無期雇用の正職員で有給休暇やボーナスがもらえ、結婚すれば配偶者手当などの対象になる。今は時給1000円ほどだが、センターの伊藤雅行代表(53)は「技術が上がれば、給料はもちろんアップします」と言う。

 筋ジストロフィーと分かったのは3歳のころ。小学4年のとき、地元の学校から特別支援学校へ。そのころは電動アシスト付きの車いすだったが、数年後に電動車いすに。「僕なんか働けない。将来は障害者施設に通うしかないんだろうな」。働いて賃金を得る暮らしは無縁だろうと思っていた。

 転機は高等部1年の秋。同じ筋ジストロフィーの2学年先輩が企業に就職することが決まった。そう聞いて、学校の廊下で進路指導担当の河合健太郎教諭(46)を呼び止めた。「先生、僕も働きたいです」。河合さんは、その気持ちが分かり「任せておけ」と即答。しかし、当てはなかった。

 最大の壁はトイレに介助が必要なこと。河合さんは年間1000社以上を回る。障害者に配慮した事業所もあるが、トイレのサポートは難しく、意欲や学力があっても就労の扉はなかなか開かれない。先輩は自力で用が足せる分、河本さんより就職しやすかった。

 「在宅就労ならできるはず」。漠然とそう考えながら企業回りをしていたある日、ハローワークの職員から紹介されたのが伊藤さんだ。伊藤さんは、障害者の就労に関心があり、同センターには在宅就労の健常者も数人いた。河本さんとも直接話し、採用を決めた。

 河本さんは「『働きたい』と言ったけれど、実際は難しいと思っていた。河合先生たちには感謝です」。生まれて初めてもらった給料は3万円余り。メールで届いた給与明細に、じーんときた。試用期間が終わる7月には「デザイナー」と書かれた名刺をもらう。

 「自分には働くのは無理」。以前は、そう思っていたけれど、今は目標がある。企業のロゴマークやホームページを一人で作り上げ、肩書きに負けない仕事をする。そして「次は僕が後輩の指針になる」。パソコンに向かう表情は、引き締まって見えた。(諏訪慧)

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