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<青空を継ぐ 四日市公害訴訟判決45年>(上) 

(2017年7月31日) 【中日新聞】【朝刊】【三重】 この記事を印刷する

老いゆく患者たち

画像介護施設のベッドに横たわる中野。体調から語り部として人前で話すのは難しいと感じている=鈴鹿市内で

 四日市公害訴訟の判決から24日で45年を迎えた。コンビナート企業のばい煙に苦しむぜんそく患者が「青空を取り戻したい」と提訴、5年を経て企業の共同責任が認められた。全面勝訴の判決は、有害物質の排出の総量規制や、患者の医療費を補償する「公害健康被害補償法」の制定につながった。患者の高齢化が進む中、教訓をいかに次代に引き継ぐか。「青空を継ぐ」担い手を追った。(吉岡雅幸、曽田晋太郎が担当します)

 介護施設のベッドに横たわり、中野満(78)が声を絞り出す。「調子さえ良ければ、語り部をやってみたいけどな」。四日市公害のぜんそくの認定患者だ。

 四日市市の中心部で生まれ育った。沿岸部にコンビナートが形成された1960年ごろから治療を続ける。二度の脳梗塞を経て2015年の暮れに鈴鹿市内の施設へ入った。

 その年の3月、四日市市は資料館「四日市公害と環境未来館」を開設した。当事者に体験を伝えてもらおうと語り部を募った。応じた6人のうち患者は1人。四日市公害訴訟で原告だった野田之一(85)しかいない。

 「経験した人の言葉には重みがある。伝承するため、探す努力はしたい」

 館長生川貴司(66)には患者の高齢化への危機感がある。市の環境部長や環境保全課長を務めた経験を生かし、「四日市公害患者と家族の会」や旧知の患者に呼び掛けている。

 四日市公害がぜんそくの原因と認められ、医療費が補償される認定患者は6月末現在で367人。ピークだった1975年度末と比べ773人減った。新たな認定は大気汚染の改善を理由に88年に打ち切られている。

 「補償が受けられる分、周囲の目を気にして患者だと明かさない人も多い」。中野は語り部不足のもう一つの背景を説明する。患者が多く出た磯津地区の80代の男性は打ち明ける。「指定が打ち切られた後に体調を崩した人が近くにいる。認定を受けているとは言いにくい」

 四大公害のうち水俣病や新潟水俣病、イタイイタイ病の資料館では患者や家族が語り部の大半を占める。公害の伝承を研究する国際基督教大教授の池田理知子(59)は「他地域では患者や家族による訴訟が繰り返され、積極的に表に出る人が多かった。四日市では訴訟が一度で終わり、一部しか機会がなかった」と指摘する。

 四日市では原告の9人だけが表に出る宿命を背負った。唯一の存命者である野田は言う。「以前は語り部を手伝ってくれる患者もいたが、みんな死んでしまった」

 池田は発想の転換も訴える。「いずれ体験した世代は減る。患者や家族でなければ当時の様子や被害を語れないという考えは、思い込みにすぎない」

 当事者から次代の語り部へ。環境未来館内でその萌芽(ほうが)と出合った。(敬称略)

 四日市公害訴訟 四日市市のぜんそく患者9人が1967(昭和42)年、コンビナート企業6社を相手取り、損害賠償を求め津地裁四日市支部に提訴した。支部は72年7月24日、判決で企業の共同責任を認めて約8800万円の支払いを命じた。企業側は控訴せず一審で確定した。

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