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自分らしく 「AJU」の仲間たち (上) 街で暮らす

(2017年8月31日) 【中日新聞】【朝刊】【愛知】 この記事を印刷する

自由に生きていいんだ

画像サマリアハウスで暮らす柳原康来さん(右)。この日のヘルパーの折田龍也さん(左)に、料理を作ってもらっていた=名古屋市昭和区で

 名古屋市昭和区で電動車いす生活を送る柳原康来(こうき)さん(30)は先日、岐阜県岐南町のマンションの空き部屋を訪れた。

 故郷の町で暮らすための物件探しで、下見した部屋の間取りは2DK。24時間、交代でついてもらうヘルパーと過ごすには、ちょうどよい広さだ。

 柳原さんは脳性まひで、首から下をほとんど動かせない。電動車いすのレバーは、あごで操作する。ヘルパーに食事や風呂、排せつなどの世話をしてもらう。

 現在住んでいる場所は、昭和区のAJU自立の家「サマリアハウス」。重度の障害者十数人がそれぞれ、ヘルパーの介助を受けながら、台所やトイレなどが付いた個室で暮らす。

 トラブルに備え、AJUの職員が常駐しているが、門限、消灯時間などの規則はなく、外出も自由。障害者が地域で生活することを目指して経験を積むための場所で、「障害者の下宿屋」とも呼ばれる。ついのすみかではないため、入居できるのは最大4年。柳原さんも入ってから3年近くがたち、巣立つ準備を始めたのだ。

 サマリアハウスに来るまでの生活は、あまり楽しくなかった。

 特別支援学校高等部のころは大学に行きたいと思ったが、進路相談で教師は難色を示した。「障害があるから、無理だと思われているんだな」と落ち込み、あきらめた。就職も気が進まず、卒業後は本人いわく「引きこもり」。家でテレビなどを見て過ごしていたが、介助をしてくれていた母親が体調を崩したため、岐阜県内の障害者入所施設に移った。

 職員はみな、気さくでいい人だったが、起床も消灯も3度の食事も時間は決まっていた。外出には許可がいる。窓から同じ景色を眺める日々。「自分は何のために生きているんだろう」と考えていたころ、名古屋のサマリアハウスを知った。

 眠たければ、眠り続けていい朝があった。おなかがすいた時、コンビニで弁当を買うか、なじみの中華料理店に行くか、それとも、ヘルパーに何か作ってもらうか。決めるのは自分だった。何でも原則、「自己責任」の生活は「すっげー楽しいのひと言」だという。

 岐南のマンションには、来年3月までには移りたい。現在は、風呂やトイレを使いやすくする改修工事の設計を、業者にしてもらっている。

 今は無職で、年金などが頼り。近く職を探すつもりだが、将来は、地域で暮らす障害者の相談に乗る拠点を故郷につくりたい。

 かつての自分のように、うつむいてばかりいる仲間がいたら、こう伝えよう。

 自分らしく、自由に生きていいんだ。

 障害の有無にかかわらず、共に生きる社会をつくろうと障害者差別解消法が施行され、1年余がたった。一方で、相模原市の障害者施設の入所者19人が、差別思想をあらわにする被告に刺殺された事件の記憶も鮮明だ。障害のある人たちは今、どんな思いで過ごしているのか。名古屋市の社会福祉法人「AJU自立の家」で、話を聞いた。(この連載は、中山梓が担当します)

 社会福祉法人AJU自立の家 1990年設立。自らも身体障害者で「県重度障害者の生活をよくする会」の代表だった山田昭義さん(75)らが、カトリック教会系の支援団体「愛の実行運動(AJU)」の協力を得てつくった。障害者自らが施設の企画や運営に携わることを特徴としている。中核施設は、障害者が期限付きで個室で生活する「サマリアハウス」。三笠宮家の長男で、「ひげの殿下」として知られた故・寛仁親王が、仙台市にあった同様の先行施設に詳しく、親交のある山田さんらに整備を勧めたことが、誕生のきっかけとなった。他に、障害者が働く「わだちコンピュータハウス」や「小牧ワイナリー」なども運営する。

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