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自分らしく 「AJU」の仲間たち (下) アジアへ車いす贈る

(2017年9月2日) 【中日新聞】【朝刊】【愛知】 この記事を印刷する

待ってる人がいるから

画像タイなどアジア各国に車いすを贈る活動を続ける小倉国夫さん=名古屋市昭和区のAJU自立の家で

 今から約1年前、タイのある田舎町。

 電動車いすに乗った40代男性が、ロープで車いすにつなげた屋台を引っ張っている。麺などを売る仕事に向かうところだという。

 名古屋市昭和区の社会福祉法人AJU自立の家の「アジア障害者支援プロジェクト」で事務局長を務める小倉国夫さん(70)は再会を果たし、「働き始めたんだ」と喜んだ。

 男性に電動車いすを届けたのは、この半年ほど前だった。車いすをアジア各国の障害者に贈るプロジェクトの一環。男性は事故で頸椎(けいつい)を損傷し、寝たきりだった。首から下がまひしているが、腕はわずかに動く。「車いすをもらって、働きたい」と願っていた。

 小倉さんも身体障害者で、車いす生活を送る。プロジェクトには2002年の開始当時から関わる。2カ月に1回はアジアのどこかの国に出掛け、車いすを贈ったり、贈った製品の修理をしたり。ただ、無給のボランティアだ。本業はAJUとは無関係。荷物運搬や買い物代行など、依頼人の求めに応じて何でもやる「便利屋」という。

 島根県生まれ。20歳のとき、大阪の港で水揚げの仕事をしていて、大量の冷凍魚の下敷きになる事故に遭い、下半身不随に。排せつも制御できぬ自分の姿に、泣いた。

 職を転々とし、静岡県御殿場市でラーメンの屋台を開業。後に妻となる女性と知り合ったが、先方の親に結婚を反対され、名古屋に駆け落ちした。車いす販売会社の営業マンになり、利用者が集う場所で商売になるだろうと通い始めたのが、AJU自立の家。AJU創設者の一人で、現在は顧問の山田昭義さん(75)にそのバイタリティーを見込まれ、アジアに車いすを贈るプロジェクトへの協力を頼まれた。

 02年にはアフガニスタンを、初めて訪れた。戦乱で負傷して体の自由を失い、道で施しを求める人が多数いた。車いすなどなく、みな這(は)っていた。贈ることのできる車いすの数には限りがあった。自分はもらえないのだと知った人から、石を投げられ、つばをかけられた。

 15年続け、訪れた国はおよそ20になった。旅は毎回、2〜3週間。飛行機と車で何時間もかけて移動し、何台もの車いすを修理したりもする。自分も年をとり、体力的にきつくなった。でも、まだ続けたい。

 「車いすを待っている人がおるから。放ってはおけんわなあ」

 今月七日、またタイに向け旅立つ。2カ月前の訪問時に、車いすを贈った人たちの様子も見に行くつもりだ。

 自分らしく生きようとするアジアの仲間たちに、また会える。(この連載は、中山梓が担当しました)

 アジア障害者支援プロジェクト AJU自立の家が「アフガニスタン障害者支援プロジェクト」という名称で、2002年に始めた。長年の内戦などで負傷し、車いすを求める障害者がアフガニスタンに多いことを知ったAJUの山田昭義さんが発案した。その後、「アジア−」に名称変更。ラオスやカンボジアなども対象とし、これまでに贈った車いすは計3000台以上になる。不要になった車いすのほか、寄付をもとに購入した部品も贈る。寄付は常時、受け付けている。(問)AJU自立の家車いすセンター=052(851)5240

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