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口唇口蓋裂診療隊 25年目のベトナム派遣 (上)

(2018年1月30日) 【中日新聞】【朝刊】 この記事を印刷する

待合に親子80組・即席の手術室 高い技術と熱意結集

 上唇や上あごに生まれつき亀裂がある口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)の子どもたちを支援しているNPO法人「日本口唇口蓋裂協会」(事務局・名古屋市千種区)が、ベトナムに無償手術の診療隊の派遣を始めて四半世紀がたった。昨年12月22〜29日に全国各地の口腔(こうくう)外科医や看護師ら48人が参加した25年目の派遣に同行した。現地での支援の様子を2回にわたって報告する。(小椋由紀子、写真も)

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 ベトナム最大の都市、ホーチミンから南西に車で2時間。バイクでぎっしりの街中を抜け、メコン川にかかる大きな橋を越えると、農業地帯のベンチェ省に入る。活動の舞台となるグエンディンチュー病院は、約130万人が暮らす省で唯一の総合病院だ。

 蒸し暑い午後の病棟。狭く長い廊下に、簡易の机といすをいくつか並べた「診察室」ができた。待合には朝早くから、幼子を連れた親たち80組以上が押し寄せ、ざわついていた。

画像診察を待つ親子であふれかえった待合

 「初日の診察は最初のヤマ場」。派遣10年目となる愛知学院大歯学部の口腔外科医、井村英人さん(39)がつぶやく。大混雑の中、通訳を介し、時に泣く子をあやしながら、手分けして唇や口の中を診察。ほかに病気がないか手術の適応を確認し、口の写真や型、血液を採取していく。

 新生児500〜600人に1人の割合で起きる口唇口蓋裂は、アジア系に多く、日本では1歳半までに治療してしまうことが多い。だが、途上国などでは大人になってもそのまま放置され、食事や言語の障害、結婚や就職に悩む人は少なくない。「治らない」との誤解や偏見から中絶が選択されてしまうこともある。

 協会の海外支援は現在、ベトナムをはじめ、エチオピアやモンゴルなど8カ国に広がっている。きっかけはベンチェ省政府から届いた一通の手紙だった。「この地にも口唇口蓋裂の子どもたちがいる。専門家を派遣してもらえないか」。ベンチェはベトナム戦争の激戦地。口唇口蓋裂などは、米軍がまいた大量の枯れ葉剤の影響だと信じられていた。

 両者をつないだのが、一足先にベンチェで障害児教育や母子保健に取り組んでいた非政府組織(NGO)「ベトナムの子ども達を支援する会」の板東あけみさん(66)=京都市。初めてベンチェ入りした1990年から口唇口蓋裂の子どもたちが気になっていた。「活動で政府や村々にコネはできたんだけど、診療所では治療できなくて」。新聞で協会の存在を知り、技術協力を求めるようベンチェ省に働きかけた。

 クリスマスの25日午前7時。機材を持ち込み一からつくった3つの手術室で、各地から集まったメンバーが、この時限りのチームを組んでの手術が始まった。一室一日3、4件ずつ手術をする。「物資もない土壇場で、何とかする経験が、災害現場でも生きてくる」。長崎市の形成外科医、福井雅士さん(51)は、東日本大震災や熊本地震での活動を振り返り語る。

画像後進を指導しつつ進められる手術=いずれもベトナム・ベンチェ省のグエンディンチュー病院で

 若手やベトナム人医師、医学生らが見守る中、生後8カ月の口唇裂の男の子が手術台に寝かされた。全身麻酔をすると、担当医らが30分かけて、定規を使って1ミリ単位で小さな顔に手術の作図をする。唇に慎重にメスを入れ、切った部分の筋肉や組織をきめ細かく縫っていく。

 約2時間の手術に耐えた男の子は、階上の回復室で待ち構えていた小児科医や看護師、母親のもとへ。ほかの部屋でも無事手術が終わったようだ。次の患者たちがまた、運び込まれた。

 日本口唇口蓋裂協会 口唇口蓋裂児の育児援助や発展途上国に対する医療技術移転などを目的に1992年に発足した。患者家族や医師、企業など会員の会費や寄付、貴金属リサイクル、補助金で運営。事務局は名古屋市千種区の愛知学院大歯学部内。

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