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日本脳神経外科学会 第76回学術総会対談特集 脳科学の近未来 -これからの脳神経外科が果たす役割- 嘉山孝正氏×若林俊彦氏嘉山孝正氏×若林俊彦氏

10月12日(木)~14日(土)の3日間にわたり、名古屋国際会議場において「日本脳神経外科学会 第76回学術総会」が開催されます。これに先立ち、日本脳神経外科学会理事長の嘉山孝正氏と第76回学術総会会長の若林俊彦氏に、脳科学の未来を展望し脳神経外科が果たす役割について語っていただきました。

広がる脳神経外科の診療領域

一般社団法人 日本脳神経外科学会 理事長 国立がん研究センター名誉総長 山形大学医学部 先進がん医学講座 特任教授 嘉山 孝正 先生

嘉山 「脳神経外科」は、その名前から脳の病気に特化した診療科と思われがちですが、実は脳だけでなく脊髄、末梢神経および付属器官である血管・骨・筋肉に関係する全ての病気が治療の対象となります。従って事故で負った頭部外傷や脳卒中、脳腫瘍をはじめ椎間板ヘルニアや脊椎・脊髄損傷など一般的に知られた病気のほか、てんかん、三叉神経痛、顔面けいれん、パーキンソン病といった神経の機能的な障害による病気や、炎症性の脳炎、髄膜炎、先天性の奇形、さらに近年増加の一途をたどっている認知症まで診療の対象疾患です。脳神経外科の診療領域がこれほど幅広いことをご存知の方は少ないでしょうね。

若林 診療領域の幅広さもそうですが、高度な外科手術はもちろん、放射線療法や化学療法など非外科的治療にも携わり、治療を終えた患者さんのリハビリテーションまで一貫して行うことができる診療科というのは稀ではないでしょうか。

嘉山 同じ脳神経外科でも欧米は業務がシステム化され手術に専念しています。その点、日本は徹底した「現場主義」ですからね。頭痛がしても、手がしびれても、めまいがしても、全て脳神経外科の対象疾患に関係する症状ですから、救急対応でトリアージに関わることも多く、患者さんに最善の治療を提供するためには、血管撮影などの診断技術をはじめ、外科手術だけでなく幅広い治療が必要になります。脳の疾患の兆候や早期発見のための「脳ドック」は世界で日本だけの医療業務ですし、治療後のリハビリテーションも脳・神経科学の知見を生かした「神経リハビリ」が効果的です。

 現場主義とは患者さんに必要なことは何でもするということなんですよ。

若林 嘉山先生のおっしゃった現場主義に基づきこれほど広範囲な医療ができるからこそ、「基本領域診療科」として認められているわけです。現在、100を超える学会の中で基本領域診療科に認定されているのは19学会のみですが、新たに開始予定の「新専門医制度」では、この19の基本領域診療科に限り専門医資格が認められることになっています。

嘉山 脳神経外科学会では1966年(昭和41年)に学会独自の専門医資格を導入していますが、これは麻酔学会に次いで2番目であり、国際的にもドイツに先行し、米国に次ぐ2番目となります。当学会の専門医資格試験は、初期から経験症例、筆記試験、実技を含む口頭試問を採用しており、現代でも通用する理想的な試験内容といえます。毎年カリキュラムの改定を繰り返しながら、厳しい試験を通過した者だけが脳神経外科の専門医といえるのです。審査の厳格さは国内最高だと自負しています。早くから人材の育成に注力してきたことが、世界をリードする日本の脳神経外科医療を支えているといえるでしょう。

進化する脳神経外科医療

第76回日本脳神経外科学会学術総会 会長 名古屋大学大学院医学系研究科 脳神経外科 教授 若林 俊彦 先生

若林 人材とともに日本の脳神経外科医療を支えているのが、生物学や工学の飛躍的な進歩です。

嘉山 私は1975年(昭和50年)に大学を卒業しましたが、その1、2年後に登場したのがCTです。触診も聴診もできない脳の異常を直接診ることができる画期的な医療機器でした。以来、超音波機器、MRI、PETなど次々と先進的な画像診断機器が登場し、脳・脊髄などの形態変化や生理学的状態、神経機能の状態まで可視化できるようになりました。

 治療についても1970年代に顕微鏡手術が登場してから、脳の中の手術は顕微鏡下が主流となり、術中モニターなど付随する機器の進歩も伴って手術の安全性と有効性は飛躍的に向上しました。また、多数のガンマ線ビームを1点の病変に集中して照射できる定位放射線治療装置による放射線治療、神経内視鏡手術、血管内治療など、開頭しないで治療ができる、患者さんに負担の少ない低侵襲手術も浸透しています。

近年は生きたまま体内の様子が分子レベルで観察できる「分子イメージング技術」や、手術中に患者さんのCTやMRI画像を映し出し、クルマのナビゲーションシステムのように、見通しの悪い部分や方向を間違えそうになったときに正しくナビゲートしてくれる「ニューロナビゲーション技術」など、超高精度な可視化技術の飛躍的な進化は目を見張るものがあり、かつて治療不可能とされていた脳深部の治療も今では治療可能例が少なくありません。

若林 私の専門としている遺伝子・再生医療分野についていえば、脳・脊髄の神経細胞は再生能力、増殖能力が事実上ないとされており、一度死滅した神経細胞は再生しないというのが常識でした。このことが障害された神経機能の回復を困難にする原因となっていましたが、近年、幹細胞を用いた脳や脊髄の再生医療が研究・開発されたことで、神経細胞は再生しないという概念は打ち破られました。免疫療法や遺伝子治療が安全で確実な新しい治療のオプションとなるのは、遠い未来のことではないと思います。

未来に向けて「i知の創出」を

・International(グローバル化する脳神経外科医療)・Intelligence(知性が結集する脳神経外科医療)・Inspiration(創造・想像する脳神経外科医療)・Innovation(技術革新を目指す脳神経外科医療)・Integration(統合化する脳神経外科医療)嘉山 この半世紀を振り返るだけでも隔世の感がありますが、この進歩はさらに加速しています。今回の学会も脳科学の近未来を展望するものになりますね。

若林 今回の学会はメインテーマを「i知の創出」とし、近年、特に発展の著しい5つの「i」で始まる領域(右図)を抽出しました。  そして、領域ごとに新進気鋭の研究者から提供される最新情報により、現在どのように 脳科学が進化しているのか会員と共有するものです。

嘉山 愛知に「知」を結集し、未来を展望するわけですね。私は特に「インテグレート(統合)」に着目しました。“知を統合する”ということは、脳科学や医学に死生観や宗教観といった心の領域まで含めた統合を意味すると感じたからです。それは私たちが直面している長寿社会の医療に欠かせない視点ですからね。非常に深いと思いました。

若林 嘉山先生が理事長になられてから、スタンダードの明確化とガイドラインの策定に着手され、脳神経外科学会の基盤をしっかり築いてくださいました。これにより、我々が未来に向けて何をすべきか展望できるようになったのではないでしょうか。テクノロジーの進展により脳神経外科医療が進化する一方で、脳神経外科医が関わる新しい疾患は増加の一途をたどっています。今こそ「知の創出」を目指して多くの基礎・臨床研究をさらに加速していかなければなりません。今回開催される第76回学術総会が、次の一歩を踏み出す脳神経外科学会の頼もしい糧となることを願っております。